協力者募集・博物館を作ろう

PARTNER

 協力者募集

一般社団法人西海文化財研究所といっしょに長崎県の文化財を発掘していただける協力者を募集しています。

少しでも文化財に興味がある方、どんなところなのか見てみたい!
そんな方がいらっしゃいましたら、見学からでも参加できますので、ご応募ください!
長崎県の文化を多くの方々にいっしょに伝えていきましょう!

こんな方におすすめ・歴史に興味がある・発掘をしてみたい・絵が好き
発掘を行う時の道具

JOB DESCRIPTION

 仕事内容

発掘を行う場所をこちらから指示しますので、その地域でスコップを使いながら掘っていきます。
ある程度発掘したら、丁寧に洗いキレイにしていきます。キレイに洗いましたらその土器に名前を付けてあげます。
前を付けたら融合し展示します。この作業をいっしょに行っていただきます。
事務作業もございますのでエクセルやワード、イラストレーターも使用して頂きます。
簡単なエクセルやワードが使える方必須となります。
先輩従業員が丁寧に教えますのでご安心してご参加ください。

応募資格

  • ・高卒以上
  • ・普通自動車運転免許(AT可)
  • ・イラストレーターが使えたら尚可

募集エリア

  • 長崎市、佐世保市

応募情報

応募方法 メールフォームまたはお電話にてご連絡ください。
担当者 村川 逸朗

日仏友好の象徴として博物館をつくろう!

青い橋
白い橋
赤い橋

【青・白・赤の橋は、フランスの国旗である三色旗を意味し、フランス人の宣教師ドロ神父の功績を顕彰する意味で作られた。右端の赤い橋の上は旧外海町役場】

右端の写真の集落は長崎市神浦で、南に海岸をたどり世界遺産に登録された“大野教会”がある大野集落、そして牧野集落があり、いずれもかつては“潜伏キリシタン”がいた集落です。
18世紀の始めに五島の野崎島に逃れるまで潜伏キリシタンが住んでいました。
赤い橋の上にある建物は旧外海町役場庁舎跡で博物館のような外観をしています。
この建物を本当の博物館にしたいなと考えています。
この外海地区はまた、ドロ神父記念館が出津にあるように、生活の助けになるように素麺つくりをフランス人のドロ神父に教えてもらい物心両面で援助を受けフランスとの縁が深いところです。

博物館のコンセプトは”宗教と交易及び貿易を含む文化交流”です。
ポルトガル人の宣教師が初めて横瀬浦に来た時に、日本人の頭の良さに驚いたということです。
これはどうゆうことなのか不思議でしたが、横瀬浦を発掘調査してわかったことは、1562年のポルトガル人の来訪以前から、この地が交易等より賑わっていたということです。
それ以前の交易は『港市』(こうし)といって仏教を基盤とする信頼によって交易が成り立っていましたので、キリスト教の宣教師が来たということは、そのあとで交易が始まるのではないかということを、日常感覚で分かっていたのかもしれないのです。

ところで長崎県佐世保市には国指定史跡である『福井洞窟』があります。
フランスとの関係でいうとフランスには人類最古の絵画とされる世界遺産であるラスコーの壁画がありますが、ここには紀元前15000年に描かれた人や動物像など多くの壁画が描かれています。
この壁画は多くの考古学者により宗教的なものの萌芽であると考えられています。
年代的には『福井洞窟』とほぼ同年代でありながら『福井洞窟』で壁画は今のところ確認されていませんが、“潜伏キリシタン”との関係で言えば、信仰の淵源と考えることも可能で是非この博物館を実現させて、ラスコーの壁画を紹介し宗教のことを考える場所にしたいとも考えています。

野崎島船森集落の共同墓地(調査後)野崎島船森集落の共同墓地(調査後)
外海町から五島の野崎島へ外海町から五島の野崎島へ

なぜ神浦から五島の野崎島へ移住したかについては、禁教であるキリシタン信仰を続けるためには、五島がふさわしいとの判断があったものと考えられる。
近世以前の五島はマージナル(辺境)な地と考えられていて、見方を変えれば異境(世界)とのつながりが、ある意味日常化していたとも考えられるからである。当然近世においては厳しい状況はあまり変わらなかった。
中世の鎌倉時代の北条得宗家も五島における交易をコントロールしようとしたが、それはかなわずに、江戸時代になってそれが可能になったと考えられる。