法人概要

PHILOSOPHY

 理念

東シナ海を舞台とする東北アジア文化の交流を探り、中国・北朝鮮・韓国・ロシア・台湾などの国々との友好・平和を基調とする良好な関係を築くこと。

特に長崎県は海外文化の流入口だったので、郷土史を学ぶことにより、郷土の歴史が世界とつながっていることを子供たちが理解できるような手助けをする。

博物館活動により、郷土の文化を知り豊かな情操を醸成し未来への英知とする。

江戸時代の日本は、諸外国に比して循環型の環境に負荷をかけない社会だったといわれていて、いわば“SDGs”な社会だったと考えられる。歴史を学びながら“SDGs”な社会を考える。

社会活動を行うときに、よりフラットな関係性をもつことを重要と考え、透明性・公共性を大切にし、効率性よりも仕事を通じた充実感を大切にしたい。

代表の写真

GREETING

 代表あいさつ

西海文化財研究所を立ち上げて早2年7か月が過ぎました。
コロナ禍などもあり大変でしたが、おかげさまで皆様方のご愛顧により仕事も少しずつ入ってくるようになりました。

キャッチフレーズは※『周回遅れのトップランナー』とさせていただきました。
これはうちの法人が小さく、体力的に大きなところの後からなんとかついていくということを表しています。
しかし、小さいことは悪いことばかりではなく、小さいことの利点も、もちろんあります。
それはコスパが良いことと、何かをしようとするときに動きを早くダッシュがきくことです。

また、もう一つの意味は長崎県の地形が平野に恵まれずに、どうしても大きな遺跡が形成されにくいということがあります。
象徴的なのが弥生時代の国の特別史跡である『原の辻遺跡』が対馬暖流に洗われる壱岐の島にあるところではないでしょうか。

視点が陸地にしかないと、長崎県は後からついていくしかないのです。しかし、視点を広く海に広げると俄然、ちがった風景が見えてきます。言ってみれば大袈裟ですが独壇場ともいえるような状況を呈してきます。

幕末の志士坂本竜馬は、土佐藩を脱藩して初めて長崎に来た時に、その活気があることと、ここは日本かというくらい外国のような雰囲気を感じました。

この江戸時代長崎にあった長崎奉行所は、今で言うところの外務省と防衛省を兼ねるような大変重要な役所でした。
ロシアの船を取り調べる時もわざわざ長崎まで曳航してきて調べていました。なんでわざわざと思っていましたが、先に述べた『原の辻遺跡』は、一支国の中心の集落ですが『魏志倭人伝』の中では“南北指”していたと書かれています。
要するに南からの対馬暖流とともに北からのリマン寒流にも洗われるまさに海の交差点でもあったのです。

少し長くなりますが、長崎県民にとって鯨はとても重要な蛋白源で、第二次世界大戦後の食糧難の時などまさに救世主でした。
今は牛肉などにその座を奪われましたが。
実は七千年前の縄文時代早期末の平戸海峡に面した『つぐめのはな遺跡』から鯨の骨とともに石銛が出土しており、弥生時代や古墳時代でも甕棺や石室に鯨が刻まれていることから鯨漁を行っていたことが確認されています。
当然、鯨組で有名は江戸時代にも鯨漁を行っていました。
この鯨漁はまさに北からの北方文化を代表するもので、沿海州や北朝鮮・韓国東岸などを経由するエスキモー文化の影響を受けたものと考えられます。

最後に“五島”の特質についても触れてみたいと思います。
19世紀の始めころに西彼杵半島の西岸、現在の長崎市外海町の世界遺産に指定された大野教会がある大野集落の人や神浦、牧野に潜伏していた潜伏キリシタンの人々は、五島小値賀町の野崎島に移住します。
移住することによって安心感があったのかもしれません。
なぜ五島かというと、それ以前の五島に住んでいた志佐氏などは、東シナ海を舞台として活躍していました。
彼らのことを“マージナルマン”(辺境の人)と呼んだりしますが、日本では西の端っこにある辺境ですが、しかし、そこは東シナ海の海域とつながっている、ある意味世界との接点でもあったのかなと思います。
長崎の“出島”を考えるときに、それ以前の五島が果たしていた意味を考察する必要性があるのではないかとも考えています。

今、一般社団法人西海文化財研究所は長崎国際大学と共同で西海市横瀬浦の発掘調査を行っていますが、まさにこの場所が古代末から中世の時期には海を舞台として、東シナ海とのつながりで栄えていました。

現在、日本を取り巻く東アジアの安全保障状況は厳しいですが、歴史を紐解くと緊張と平和な交易の時代を繰り返していたように思います。
“温故知新”という言葉があり、これは“古きを温めて新しきを知る”という意味ですが、中国では温めるというよりぐつぐつ煮るという意味合いが強いということです。
要するにぐつぐつ煮てエキスを取り出し、その味をじっくり味わうという意味でしょうか?そこまで歴史を吟味して、現実、ないしは未来へ生かしていこうということでしょう。

海を介する交易は結局のところ、陸上の産物を目指してくるとのことで、古代末から中世にかけては、その当時の中国では寺院建築のための“木”と“硫黄”が欲しかったといわれており、長崎県の木材は大村湾の沿岸や平戸はその供給地としての意味合いが強かったと考えられ、硫黄は大村湾沿岸の竹松遺跡がその産地の南海との中継地とも考えられます。
また、西彼杵半島は石鍋の生産地でもありました。
海をその生活の生業としていた先人の思いをしのびつつ、いかに彼の地の人々と付き合ってきたのかを考えるトップランナーになりたいと、一般社団法人西海文化財研究所は考えています。

私は奈良大学の田辺昭三先生のもとで考古学を学びました。
卒論は福井洞窟をテーマとしました。
京都大学で福井洞窟をテーマとして学部卒業論文を執筆された山中一郎先生の卒論の学史の部分を参考とさせていただきました。
なんとか提出しましたが、口頭試間の時に、日韓海峡のことを問われ、なぜ福井洞窟と日韓海峡が関係あるのか疑問で頭がいっぱいだったのを昨日のことのように思い出します。
この日以来大陸との関係が、生まれたばかりのヒナが目にしたものを親鳥と認識するように頭に刷り込まれてしまいました。

おそらく、長崎へ帰るので特に強調されたのかもしれませんが、真相はわかりません。
ようやく今に至ってその重要性を認識し、そのことを自分なりにアウトプットする勇気が出てきたように思います。
今後も続けていきますのでお付き合いいただければ幸いです。

※『周回遅れのトップランナー』という言葉は、横瀬浦在住で研究をされている原哲弘さんが、横瀬浦のイメージと合致するということで発案されたもので、ご厚意により使用させていただいています。

令和4年11月11日
一般社団法人西海文化財研究所 代表理事 村川 逸朗

CORPORATION

 法人概要
法人名 一般社団法人 西海文化財研究所
代表名 代表理事 村川 逸朗
所在地 〒859-6302 長崎県佐世保市吉井町福井630番地
TEL 0956-64-2364
FAX 0956-64-2370
設立日 2020年4月1日
資本金 200万円
事業内容 埋蔵文化財関係、文化財一般

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